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腹の立つ事象を昇華する方法のひとつ…面白要素を見つけること

もじゃもじゃ頭のカウンセラー 山本春野です。どうぞお見知りおきを。

ふぁーこさんのグループセッション

敬愛するふぁーこさんのグループセッションに参加してみた。グルジアに住んでカウンセラー活動をしているふぁーこさんはとても独特で面白い。

鋭いのだけれど、フワッとさせてくれる稀有なカウンセラーさんです。動画も面白い。

ブログはこちら↓

 

ふぁーこさんはグルジア在住なのに、日本の料理の動画をアップしていて、顆粒だしとか醤油とかが普通に出て来るので、日本の調味料が買えるのかを訊いたら、やっぱり手に入りにくいらしい。

そんな中、偶然大豆を見つけて、日本から持ってきた納豆菌の元を使って納豆を作っているとな。しかも美味しい納豆ができるとな!グルジアで納豆屋さんの副業だな。

食材を送りますよ~とやさしい参加者の方。とふぁーこさんのやり取りを聞いて思い出したことがあった。

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私がアメリカに滞在中に母に日本から送ってもらいたいものがあって頼んだら、トンチンカンなものが送られてきたことを。

そう、母というものは時折いらいないものを送ってくる。それは『愛』なのだとは頭でわかっていても、怒りが湧いたり、なんで?と悲しくなったりするものだ。

そんな時の怒りや悲しみをどうやって昇華させるか…について書こうと思う。

怒りを抑圧せず、怒りまくりながらも、その中になんらかのユーモアを見つけることかなと思う。

ことの顛末

なんか似たような記事を書いたことがあったなと探したらこんな記事を書いていた。これは『義親』だな。これもまぁ関係性の問題もあって、あからさまに言えないし、怒れないという事情があるなぁ。

なぜ義親はいらないものを送ってくるのか?それをどうするか?義実家から送られてくる『いらない』贈り物どうしていますか? 物であっても、食べ物であっても正直迷惑…と思っちゃうことってありますよね~。...

私がアメリカ留学していた頃、肩こりに悩まされた時があった。そこで母に「湿布をおくってくれないか」と頼んだ。

アメリカには「湿布」というものがない。あるのかもしれないが、私には見つけられなかった。

ついでに「乾麺もおくってくれ」と頼んだ。うどんとかそうめんとかそばとかそういったものは保存もきくし、たまには食べたいものだったから。

しばらくして母から連絡があった「船便で送ったわ」と。

そうか、船便か…それじゃぁ結構時間がかかるなと思った。湿布はすぐにでも欲しかったけれど、まぁ運賃も雲泥の差だし。頼んだ手前あまりわがままも言えないしと、気長に待つことにした。

その頃、私は大学の寮に入っていたので、大きい荷物があると小さいポストに案内が入る。ある日やっと母からの荷物であろうポストの案内が入っていた。

授業の合間に喜び勇んで取りに行った。

届いていた荷物はミカン箱ほどあった。頼んだもの以外にもいろいろ送ってくれたらしい。

「母の愛だ~」と素直に感動しつつ、受け取ると…なんだか…ほのかに…香る。というか匂う…。

その段ボールを抱えて授業に出た。足元に置いて…。クラスメイトからは「アラ~ニホンカラ?トテモイイワネ」とか言われて話が盛り上がったりする中、やっぱり匂う…。

潰れた段ボールの底が少しウェッティーなのも気になった。

やきもきしながら、部屋に戻り段ボールを開けたら…

ぎゃーーーーー腐臭!!!

そして全体的にウェッティー…犯人を探したら…それは、新聞紙に包まれた『干し柿」だった。

そして頼んだ湿布を探すが、入っていない…。

そして、頼んだ「乾麺」はなぜか…「くずきり」だった…。

確かに乾麺だけれども!!なんでチョイスが『くずきり』なの???もっと他にあるよね?うどんとか!!そばとか!!そもそも住まいが信州でしょ??信州だったら「乾麺」と言ったら「そば」なんじゃないの??なんでくずきりなの??

と怒りが湧いた。

手紙が同封されていたので、干し柿の果汁でベトベトになった手紙を丁寧に広げて読んだ。

「肩こりがひどいと聞きました。肩こりには『黒糖」がいいらしいので、黒糖を送ります」

??????湿布は???

と怒りが爆発!!と同時に笑いも起きる。

怒りを解消させるのはとことん笑い

我が愛する母はちょっとエキセントリックなので、若い頃は恥ずかしかったり、理解できなかったりして、よく衝突した。

若い頃というより、つい最近まで口を開けばイラついていた。とにかくこちらを認めないみたいに感じていた。常に否定されているような…。

母にはそういうつもりはなかったのかもしれない。いや、なかっただろう。

母が巻き起こす「信じられない話」を友だちなりに話すと、みな面白がってくれる。とても。

なぜかわからないけれど、私は「こんなことがあった」と怒りと共に話すのだけれど、「なんか面白い」らしい。

舅との同居の話も、介護の話もみんなそうだった。怒り爆発なのだけれども、私が話すと「なんか面白い」らしい。

自分自身の心理がどうなっているのかはさっぱりわからないが、とにかく怒りまくっていて、それを隠さずに怒ってしまっているのが、長い間嫌だった。

怒らない人になりたかった。穏やかな人になりたかった。

結婚してから「舅の愚痴」を言うと、友だちはいろいろな反応を示した。

一緒に怒ってくれる人
そんなこと言っちゃいけないとたしなめてくる人
悪口ばっかり言ってなんかヤダと言ってくる人
私の話を面白がってくれる人

色々いた。この中で、今も付き合いがある人は「私の話を面白がってくれる人」だ。こういう人に話をすると、話し終わってからのザワザワ感がなかった。

悪口を言ってしまったことには絶対罪悪感が付きまとうのだけれど、それでも「なんかこういう過酷な状況をそうやって話せるのはいいよね」と言ってくれた人に本当に救われた。

起きている事象は透明でピュアなもの。そこに色付けをするのは自分自身であって、そうやって作った世界は自分の見ている世界。投影されている世界…なんだよね。

だから、きっと『過酷な中に面白要素を見つけることができる』のは私の才能なんだろうな。そしてそれを見てくれた人だけと今も付き合いが続いている。

それでいいではないか。

怒りは怒りでそのままでいい。その中に何をみるか

とにかく腹が立つ。今でも、きっとこれからもそうなんだと思う。

怒ることを自分に許可した。これはとても大きい進歩だったと思う。怒りをあまり我慢しなくなると、意外に怒りはたまらないものだ。

母が「私の頼んだもの、期待したもの」を何一つ送ってこなかった上に、腐るに決まっている干し柿を送ってきたこと自体…なんか笑えない?

これを「自分の思い通りにならなかった。お願いしたのに」という思いに囚われると、ここから出られなくなってしまう。

そんな中にも、ひと匙のユーモアが隠れているものだ。

「なんか笑える」これだけで救われることはあると思うよ。それも「なんか笑える」ことを見ていかないと、見えてこないものなんだけどね。

人はみんな見たいものを見ているからね。

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