かつてこのブログのタイトルは『夫がお金をくれないんです』だった。そのままの話を書いていた。
『夫がお金をくれない』というウラミツラミから、副業の情報やら、ポイントサイトで稼ぐ方法…もっといえば『一番お得に離婚する方法』なんかも一生懸命調べて書いたりした。離婚した後にもらえる給付金の話なんかもあったな~。
いや~ブラックな内容でもあり、有益な内容でもあったかもしれない。私にとってあのブラックブログはかなり発散になっていた。あれはあれで黒歴史ではない。白歴史。ただもう公開はできなけど!(笑)
そんなこんなで恨みを書き尽くした私がたどり着いたのは『スッキリしたけれど、心のザワザワ感』だった。ブラックな自分に嫌気がさしたということもあるし、なんとなくふと「夫にもなにか事情があるのではないか?」と気がついた、ということもある。
だって、パートナーは鏡だから。
そして、相手にされて心底いやだと思っていることは、自分が抑圧してきたことだから。
ええええ~やだ~。信じたくな~い。
自制もせずに、家族のことも考えずに、自分の趣味にお金をつぎ込んで、迷惑かけて、その上それに関して申し訳ないと思うわけでもなく、逆にそれについて指摘するとキレたりして…。
そういうことが私の中にあるってこと?
・・・・・・
まぁあるんだろうね(渋々)
私が無職(いえ、カウンセラーです)になってから、実際には無職になると告白してしばらくしてから、夫は少しずつ家にお金を入れてくれるようになった。
その金額が少しずつ増えていき、くれる回数がたまにだったのが、1か月に1回と規則正しくなってきた。
それはたぶんやっぱり『パートナーは鏡』だからなんだろうね。
パートナーは鏡
もし私が『自由にお金を使うこと』を抑制しているのであれば、それはかなり幼少期にさかのぼる。
実父が本当に嫌がっていた私の口癖は「お金ある?」だった。
レストランに行けば「お金ある?」と訊き、一番安いメニューを注文する。
なにか買ってもらう時も「お金ある?」と訊き、一番安いものを選ぶ。
おさがりがいやだと思ったこともなければ、自分にお金をかけることに興味をもったこともあまりなかった。
どんだけだ?そしてそうなってしまったのは…よくわからない。
でも、夫が自由に気にせずお金を使うことに、私がこれだけの執着を持っているということは、本当に幼少期から『お金を自分のために使うこと』を抑制してきたのだろう。
夫がが本当にイラつくことをするときは、まずは私の心の中のイラつきをそっと抱きしめ、イラつく自分を「よしいい子だ!感情を感じたね」と愛でることをする。そしてなぜイラつくのか?と自分の心に問いかける。
お金ブロックをはずし始めた
自分がお金に特別な思いをもっていることはだいぶ前からわかっていた。だからといってそれでもいいと思っていたし、今も思っている。
お金さんは大切だし、大好き。とっても好き。
だからと言って、お金さんを自由にさせてあげないのは、お金さんと『癒着』しているってことだよね。だから沢山貯金があったとしても、ずっと不安。使えない。だっていなくなったら不安だから。自由にさせてあげられないのは、自分の自由じゃない。
それに気づいて、私のお金さんを自由にさせてみることにした。そうしなきゃ安定した仕事を辞めることなんてできなかった。夫がお金をくれることなんてこの先もないだろうと思った。
結果…私が自由になった。この心理のメカニズムがわかったら『先生』になれるだろうな(笑)
まだ完全に『お金ブロック』がなくなったわけではないけれど、本当に楽になったことは間違いない。
お金さんと向き合い、話し合い、落としどころを見つける。人間関係と同じだね。
素直にありがとうと言える自分に万歳
私はたぶん生粋の『ダメンズメーカー』(笑)
そもそも「夫がお金をくれない」のではなく、私が「夫のお金を受け取らない」ということだったのだと思う。
そうやって自分の無価値観を埋め合わせようとしていたのだと思う。そしてけちょんけちょんに夫の自尊心を傷つけていた。
私の方がお給料がいい。
私が家を買った。
あなたは趣味にお金を使えていいね。
私は全く自分のためにお金を使っていないんだよ?(嫌味)
夫を馬鹿にして見下していた。
そうやって、自分の価値を見つけようとしていたのだろう。
そもそも夫のお給料で暮らしてしまったら私が『能無し」だと認めることにならないか?
夫に養ってもらうほどの人間なのか?
お金を稼ぐ以外になにか存在の証明ができるのか?
あんたはどれだけの人物なのか?だれかに頼るなんてことをしていいのか?
って思っていたんだろう。今もそれは思っている。根源を是正するのには時間がかかる。それがわかったから、まずは恰好から入ることにした。
で、夫に丸裸で町内一周するくらいの気概で言った。
と。例のごとく夫の反応は…
だったけれども。
それでも、お金をくれるようになった。卑屈になってお願いしたわけではない。ただ真剣に言った。
それでもまだ無価値感だって、罪悪感だって解消されたわけではない。
今朝、夫に
と言われた。そして私は
と本気で言っていた。1ミリの敗北感もなく。
「夫がお金をくれない」と文句を言っていた頃、なんども「お金の収支をつけてみたら?」とか「カードの引き落としはいつのなの?」とか「毎月0円になっちゃう理由はわかっているの?」とか言っていたのに。
あの頃はこんなことを言ったら、キレられるか、「明日死ぬ」といわれるかどっちかだったのに。
変われば変わるもんだ。
いや、違う。変わったのは私だ。
いや、これも違う。変わったのではない。
気づいただけだ。