次男が学習障害、とくに識字障害ではないか?という疑いがある。前にそんな記事を書いた。
で、次男の通う小学校には特別学級があり、学習障害のある生徒が通うクラスがある。いわゆる通級というもの。そこに専門の先生がいるので、療育センターに行っての本格試験を受ける前に、簡易的なテストをしてもらった。
まぁ、結果は「読み書きがほとんどできない」ということで…。
先生言いにくそうにしてたけど、もうわかっているんだから、別に言葉選ばなくても(笑)と思ったけど、人にとってはかなり大きな『宣告』になることだってあるからね、言葉は慎重に選ぶよね、そりゃ。
面談の内容は、通級クラスに入級するには、LDの検査を受けて認定されて、先生と親との合意があってからになる。
早くても3か月はかかるし、入るとしたら2年からになるということだった。
それまでは「お母さん、がんばってください」だった。(笑)
具体的に家で何をすればいいのかとか、おすすめのアプリとかの説明に加えて、目からうろこな話があった。
『理解すること』と『読み書きができる」ことは全く別のことということが、衝撃だった。
つまり、読み書きができないからといって、理解できていないわけではないので、そこは分けて考えて、読み書きと理解を同時に進めると自信ばかりを失っていいことがないというのだ。
読み書きができないから理解していないと判断して「なんでわからないの?」というのは筋違いで、わからないわけではなく、読み書きができないだけなのだと。
わかっていたような気がしていたけど、おもいっきり腹落ちした。
だから、お母さんがんばるよ。というか、がんばれるよ。
何でできないの?という呪縛
人は誰でも物事を一緒くたに考えるのではないだろうか?
意見を求めても、答えないから「分かっていない」「意見がない」と思うでしょ?
でも、そうじゃなくて、意見はあるけれどそれをうまく話すことができないから言えないということもある。
でも、社会はそれを許さない。
子どものお世話は好きで上手にやるけれど、家事はうまくできない。だから私は主婦失格。
でも、そんなことはなくて、そこはできるけど、こっちはできないだけで…。だけど人は「できないこと」に目を向ける。
まぁなんでもそうなんだろうけど、他人はともかく、自分自身はそこを許して認めてあげたいと思う。むずかしいけどね。
で、次男の話。
今まで、読み書きができないんだから、音読は一生懸命やらせていた。なんでもやればできるようになるから。
でも、次男は極端に『音読』を嫌がる。でも少しずつ読めるようになっているから、母としては一緒に読んで達成感を得てほしいと切に願っていた。でも、嫌がる。
先生との面談中、降ってわいたように私が『理解した』。
『音読』は読みを練習するものではない。これは『内容を理解するため』にしているだと。だから『音読』を読みの練習に使うのは違うのだと。
降ってわいたので先生にそう伝えたら…
「そうなんです!!音読は理解をするためのものですから、お母さんが読んであげればいいんですよ」と。
そこで、読めない字を一生懸命ロボットのように読んだって、内容は理解できない。そうすると「おれはわからないんだ」と思ってしまう。だから理解ができていないのではなく、「ただ読み書きが苦手なだけだ」ということをわからないと…
なんでうちの子はなんにもわからないのかしら!!
となっちゃうんだよね。
事実、算数のテストも問題が読めないからできない。
ただ計算は普通にできるのでそこは満点。
国語も聞いて書く問題は満点。
読んで答える問題は0点。
先生に読んでもらえば、満点。
そう、『理解』には問題がないんだよね。
視力が落ちているからメガネをかけているだけ
通級クラスに行ってどんなことをしたかを、次男はなかなか話してくれなかった。
母はとても気になったが、詳しく訊けなかった。
すると、夜寝る段になって電気を消してからぽつりと言った。
「きょう、たけのこ(通級クラス)に行った」
そしたら小4長男が激しく反応した。
「なんで、おまえたけのこ行ったんだよ!」と。
小4となれば『たけのこ』に行く子は何がしかの問題がある子ということが分かっているから純粋に驚いたんだと思う。でも、母は心の中で「長男、だまれ」と思っていた。
次男なりにも「ちょっと違うところに行った」ということでなにか思うところがあったのか?ショックだったのか?とドキドキしたけれど、それっきり次男は何も言わなかった。
そんな話を実姉にしたら…
「そういうのってさ、メガネをかけるくらいに考えたらいいのにね。不便がなくなるってくらいに思って欲しいな」と。
なんで?と考えること自体不毛だったんだな~
専門の先生と話すと「ああ、それだけのことなんだ」と思えることがいくつもある。
例えば「やまもとはるの」とは書けるし読めるのに、
『はるのやま』と書いてあるのは読めないし、書けない。
使っているひらがなは同じなのに、なんで別のところ出てくると読めないの?なんで??と思っていた。不思議だった。
それを先生に言ったら「ああ、そうなんですよ。そういうものなんですよ」とあっさり言われた。ああ、そういうものなんだ…なんで?ってことじゃないんだな…とすっきりした。
理由とか理屈とか、事情とか心理状態とか、発達速度とかいろいろ気になるし、納得したいけど…
「そういうものなんですよ」と言われて、大変救われた。
『そういうもの』をどう納得するかはひとそれぞれかもしれないけれど、私は「そういうもの」に納得して、「じゃぁどうするか」の次のステップに進むことができたなぁと思った。
と、長い日記になりました。
考えすぎは悪いことじゃないけれど、次のステップに行ける鍵は思わぬところから手に入ることはある。
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