数日前に「夫から感謝の言葉がほしい」みたいな記事を書いた。↓
この記事から思い起こされたのだったか、夫から言い出したのか忘れてしまったけれど、夫に心から感謝されたことがあったことを思い出した。
すっげーーーーーくだらない話なんだけど、あれは私たち夫婦の稀にみるパートナーシップの盛り上がりだったんじゃないだろうか? (大げさ 笑)
でも、だれでもそうだと思うけれど「夫婦間で「ありがとう」というのはとてもいいことです。ちゃんと伝えましょうね」ともし言われたら「言ってるけどな」と思う人がほとんどじゃないかな?
よっぽど心に痛みを抱えていない限り、なにかしてもらったら「ありがとう」と言うだろう。
でも、夫婦問題を抱えていると「そこじゃない感」がある。「それを言われるのは当然であり、私がしてほしいこと、言って欲しいことははそこじゃない」ってことが多いんじゃないかな~。
そして、自分自身もそれがどこなのかわからなかったりする。
数年間に起きた「ネギ事件」は私の「そこ」がよくわかった一件だった気がする。
ネギ事件の全容
マジでくだらないから覚悟してください。
ある日、夫が早めに帰宅した。そしてこう言う。
喉にネギが引っかかるという状況がまったくわからない。そんなことある??とバカにしながら(当時の私はたぶん常に夫をバカにしていた)、大きく口を開ける夫の喉を覗き込んだ。
もちろん何も見えない。
一生懸命引っかかっている場所を伝えてくる夫。わからないとイライラする私。
普通だったら怒り出すであろう夫であったが、よっぽど辛いらしく熱心に伝えてきた。
喧々囂々を続いたある瞬間、ヒラヒラヒラ~とネギの一片が本当に喉の不思議な場所に引っかかっているのが見えた。
こんなことってある?なんで取れないの?超ミラクル。
で?どうやってとる? 指で取れるような大きさでもないし、場所でもないし…。
夫は、無理やり吐いたり、水を飲みまくったり、色々したらしい。にっくきネギめ!!
子どもたちまで巻き込んで作戦会議…。
もうこれしか方法がないということで、ガンプラ制作に使う細いピンセットでつまむことに…。
先がとがったピンセット…。一歩間違えれば喉に傷がつくだろう。そしてそのミリ単位のネギは喉の奥で見え隠れしてるから、チャンスは少ない。
その時の私は何かが降りてきたと思わざるを得ないほどの集中力だった。一瞬のスキも逃さず、肩の力を抜いて、数ミリのネギの一片をさっとつかみとったのだ!!!!
あの時の家族の一体感は半端なかった。
やった~やった~と喜び踊る子どもたち。
疲弊しながらもほっとした顔の夫。
やり切った感満載の私。
そう、きっと結婚して初めてといっていいくらいの、心からの感謝の念が夫から溢れていた。
すんません…ほんとにくだらなくて…。
あれはなんだったのか?
私の心情で言えば「やってやっている感」がまずなかったというのがある。
本当に辛そうだったんだよね、夫が。そして心から助けてほしそうだった。病院に行きたくない気持ちもよく分かった。私自身がこういうチャレンジ的なことが好きということもあっただろう。
犠牲も、取引も、期待もなにもなかった。目の前にある問題に集中していたんだろうな。そしてそれを達成し満足したことを、思いがけず大いに喜ばれ、感謝されたことがとっても嬉しかったのだろう。
頼られるってこと?かな?(ちょっと良くないけれど、私がいなければダメなのよっていう気持ちもあったかも? 私自身の存在理由的な)
トラブルをみんなで解決したっていうことが絆が深まるってことはある。
私ばっかりとか、私が我慢しているとか、そういう思いがあると、小さい感謝を差し出されても受け取れない。もっと大きくわかりやすく感謝されないと満足しない。
大きい感謝をするのは、今までそうして来なかった人にはとても難しいことだろう。
小さい感謝をしても、受け取ってもらえなかったら、次も受け取ってもらえないかもって思い込む。
そうやってすれ違っていくことは夫婦には多いことなんだろうな。
くだらないけれど、2人でトラブルを回避したことによって、私はその小さい感謝をあっさりと受け取ることはできたから『次の”中くらいの感謝”』が差し出された時に受け取る準備ができるようになったのかもしれない。
あれは本当に面白い事件だったな。あんなに小さいネギの一片の取った私もすごいな。奇跡に近い。
人生は全て自作自演~(笑)
きっと私は「条件付きの感謝」をされることに「そこじゃない感」を持っていたのかも。
それは、あちらもこちらも同じことなのかもしれないな。
○○だから感謝する。
○○だから感謝されるべき。
そこから抜けだすためには…小さいことでもなんでもかんでも受け取り続けることかもね。
そして受け取るためにはこちらの心に余裕があること、充足感があること…。
ってことで、自分を喜ばせることを選択し続けること。