夫婦関係

夫婦の離婚危機から脱出した経緯を振り返る① 義父の介護の日々

ここ1か月くらいだろうか。夫と会話ができるようになってきた。

普通の会話だ。でもいつもではない。「あれ、普通に会話している」と俗に言う『ほっこり』感を感じ始めている。

元々たぶん私の性格がせっかちというか、ガツガツというか、たぶん見た目は知らんが心の中はガタガタしていて、血流も平均より早いんじゃないかなと思っているので、「ほっこりした~」という感覚がつかみ辛かったのだが、たぶんこれを『ほっこり』というのではないかな?と思っている。

そもそも、数年前に「これではイカン」と思い立ち、とりあえず夫の存在を消そうと「無関心修行」始めた。そしてその間に『自分掘り』そして、無関心を突き通しつつの『夫の観察』、心理学等の『研究』その先に待っていたのは「自分が本当はどうしたかったのか?」という根本だった。

まぁ、恥ずかしい話だが「私を見て欲しかった。かまって欲しかった」ということに気がついた。

じゃぁ、そういう人と結婚すればよかったじゃない。もしくは離婚してそういう人を見つければいいじゃない。という声も聞こえてきそうだ。

そう、私もそう思う。でもいろんなことを天秤にかけて、考えたり感じたりした結論としては「離婚はしない」という着地点だった。

どういう着地点にたどり着くかは人それぞれだし、そもそもうちの夫の宇宙人は、私が色々葛藤してきたことなんか、なんにも気づいていないと思う。

毎日ヤツの言動にイラついていた

義父を介護していた頃、義父に対する暴言と、たまの暴力が本当に嫌だった。何度もそれで喧嘩をした。

子どもの前ではやめてくれ。
それだったら施設に入れる。
何もやらなくていい。
出て行け!!

そんなことを言葉を荒げて言っていた。私の方がモラハラ(笑)

今思えば、夫は自分の心の中を私に話していたんだよね。
「自分の父親がああいう状態になったらお前もわかる」と。

うん、そうかもね~とも思うが、私の実父が寝たきりになっても暴言は吐かなかったけどね!!

とにかく、なぜ私がイラついていたかといえば…

「いかなる理由があれ暴言暴力はいけない」と思っているから。テレビに向かって文句をつけるのも嫌だし、「こいつはブスだ」とか「ホント頭悪いな」とか「民度が低い」と偏見や差別的発言も嫌いだった。

夫はあの頃の状況が嫌だったらしく「親父殺してオレも死ぬ」と毎日のように喚いて本当に怖かった。殺してしまいそうで怖かった。でもそんなことを誰かに相談もできずに、ある時「介護110番」というネット相談室の掲示板に書き込んだ。

すると正確な言葉は忘れてしまったけれど、こんな返信をくれた人がいた。

「ご主人とお父上の間には長い歴史があります。あなたとの歴史の何倍もの長さの歴史が。それはあなたにはわからないことです。今起きていることはあなたには関係のないことです。二人の問題です。あなたが悩むことではないです。二人に任せましょう」

というような回答だった。今思えば、境界線を引くということだ。

親殺しの妻になりたくないし、自分の子を親殺しの子にしたくないと心底思っていたけれど、そこで私は腹を括った。

その時はその時だってね。

介入をしなければいい意味で他人事

妻たるもの…みたいな思いが強かったからきっとイライラしたんだろう。妻である前に私は私。嫁である前に私は私。二人のことはわからない。私のやりたいことだけやる。

そう思えるようになったのは、義父が亡くなる数か月前だったと思う。いろんなことが楽しくなり、義父との会話も楽しめるようになった。義父が「出かけたい」と言うのもいつも「こっちが大変なんだよ!!」とイラついていたけれど、義父が亡くなるちょっと前に「天気がいいから公園でお弁当にしましょう」なんて自分から提案して、次男をおんぶして、ちょろちょろ走り回る長男にケンケン注意しながら、義父の車椅子をおしてピクニックに行った。体力的には辛かったけど、なんだかとても楽しかった。

義父の妻、つまり夫の母親は42歳の若さで他界している。義父はお墓参りに行きたいとよく言っていたのにもかかわらず、私一人で連れて行くのはやだなと思ってスルーしていたけれど、その頃になって行こうかなと思って行った。これまた、次男をおんぶして…というスタイル。見かねた霊園の方たちが車椅子を押してくれたりして、感謝感謝だった。

心に余裕…ってこういうことなんだろうなぁと思った。

でも、死んじゃったんだよね。そういう風に思えて長生きしてほしいなぁと思った矢先に。

夫がいなくても、いや、いない方が我が家は平和だとすら思っていた頃だったな。

そうするしかなかった自分と無価値観を募らせた夫

そもそも自分の父親が要介護になって、最初は熱心に介護していた。だけれど義父は王様なのであまり感謝を言葉にしないし、永久に要求をするような人だった。

夫はそれでも熱心に介護していた方だと思う。最初から私に投げていたわけではない。心理学を学んだ今になって思うのは、夫は罪悪感と無価値観をただ静かに募らせていたんだろうなと思う。

親を助けれられなかった自分
親の面倒をしっかり見られない自分

そんな風に思っていたんだろうね。で、それがつのりつのって『介護うつ』ってことだ。

今そんな風に思っても、私はあの頃の私に「そうするしかなかったよね」と声をかけることはできる。

そう思うようになったは、一旦境界線を引いて、自分のことに集中したからだと思っている。引き込まれることはしない。申し訳ないことかもしれないが、夫のことまで気を回すことをやめたのだ。

だって、キャパオーバーだったから。介護があるんだから、あんたが介護できないんだったらせめて子どものことを…と思ったりもしたけれど、そんなことに心を配る余裕もなかった。ただ夫に期待して頼んで断られて…という面倒なことをするくらいなら、夫はないものとした方が楽だった。

きっとそういうことだったんだろう。

義父が他界してにわかに浮上した夫問題

夫が私の人生劇場に再登場したのは、義父が他界したあとだった。

そりゃそうだ。世話していた人がひとりいなくなったんだから、私の目も空く。

で、イライラが再燃したってこと。問題を作りに行っているのは私自身なのかもしれないなぁと思う(苦笑)

ちょっと長くなったので、to be continuedにする。

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